哪吒の幕間読みまして
哪吒の幕間読みまして。
読みました!?!?!?!
いいから召喚してくれ今すぐ早く!!
「サークル仏法僧」なるものの存在を初めて知りましたが、いやぁまじで。
中国イブンタイで、
ふーやーちゃんでもなく、
三蔵ちゃんでもなく、
新殺でもなく、
(まぁ呂布とか書文先生とかは置いておいて)
哪吒が喚ばれた理由がわかった。
そして本当に、哪吒の言う通りのことになりましたね。
なるほどね。その頃からちゃんと伏線が張られていたんだ…
エレちゃんガチャで哪吒が来て良かった。
そうだね。タマモだね。
タマモだよ。
3章途中ですが
※ネタバレ所感※
※まだ11節読み終わったところです※
TL見てると、フォロワーさんはほとんど既に2部3章クリアしてるみたいですごく早いなぁと思いました。
鍵垢で魔窟と化してるので特に伏せる事なく進むごとに所感を言ったり言わなかったりしてたんですけど、
始皇帝、可愛過ぎません?
花札ギル彷彿とさせるというか。ああいう奴の言う「うむ」とかほんと可愛くてしゃーない。どうしろと。
花札ちゃんぽくてかわいいね〜なんて思ってたら、
「うむ、滅そう。疾く滅そう。」
のセリフ。
「殺そう。すぐ殺そう、すごく殺そう」
を彷彿とさせやがってこのやろう。
可愛くて困る。
あと3節あたりで、「冒頭のあれは芥氏の話なのかな」なんて思ってたんですけど、それっぽくてちょっと嬉しくなりました。
ロマンの診察を受けない、彼女不老不死では?みたいなツイートは前から見ていたので、あっこれもしかして思いびとのために中国きた系なんかな?って思ってたら凄く強そうな狂馬さんとそれっぽかったので、読みが大体当たってて嬉しくなりました。
残念ながら中国史には詳しくないので、あと漢字にも強くはないので、芥氏が狂馬さん(名前をいい加減に覚えろ)のお嫁さんか愛人だったのかはわからないけれども、不死者による永き愛みたいなのが見れるのかな。
ちょっとワクワクもしますね。
それとエタノールで燃やす、火力発電が主なのだとしたら、あんな燃えやすい一面の畑、間違って火でも着いたらやばくないですか?つか普通に過ごしてるひと、みんな火で生活してるんじゃないかな。カマドとか。イロリとか。エタノールになるんでしょ?しかもあんな、燃えやすそ〜〜な… ちょっと心配になります。
それと始皇帝、ギっぽいとこあるな〜かわい〜とか思ってましたけど、別にそうでもないと言うか。いや、これは逆なのかな。
ギルガメッシュって、人間に価値を認めていないし全く守るなんて事しないですよね。「むしろ増え過ぎ間引こ〜?(JKのノリ)」みたいな。でも人間の宝物の価値や繁栄に対しては純粋に祝福してくれると思うんですよ。てか結構好きですよね。たぶん。
でも始皇帝は、人間は守る。けれども人間の繁栄は許さない。みたいな。
この辺り綺麗に反対を行くな〜と思いました。
あと“「始」皇帝”と、“神代「最後」の王”とでも真逆を取っているのかな。
似てるけど真逆、みたいなのに弱いです。
てかめちゃくちゃデカくない?こんなでかいのと戦うの?スルトとかもデカかったけど。
2部は怪獣大戦争みがあって好きです。
5%の女
※以下、CP名等飛び交うので注意※
※実に腐女子的な内容です※
ツイッターで「腐女子分類のアンケート」が回ってきたので、自分の傾向(固定だとか雑食だとか)の答案をしました。
ら、5%
私が答えたのは、「攻め固定(攻めポジだけは変えたくない)」というもの。
え、5%……?マ????
初めて己が少数派であることを知りましたよ。様々な人間がいるなぁと思いながら日々生活していましたが、おそらく他の大多数にとって私のような人間が「様々な人間がいるなぁ」と思われる方であったのだと。
よくよく考えれば、昔はよく見かけた(言うて私、まだ20代になって1年が経つほどなので、それほど古の腐女子というわけではないと思いますが)、「○○総攻め」というアンソロとかメッキリ見かけなくなったなぁとは…思ってはいましたが…まさか…
確かに○○総受けなんてもの、最近はよく見かけます。
現時点(約1万ほどの票数)で1番多いのが雑食、CP固定と受け固定が同票、最も少ない攻め固定が5%。
私はコレですね。
ここで、他の5%の人も同じとは限りませんが、限りなく少数である「攻め固定派」のどういう方程式が働いているのかを書いていこうと思います。
苦手なCP出てくるかもだから気をつけてね。わかりやすいようにABC評価はしません。こんがらがるでしょ?
先ず大前提として
・主人公は攻め
であるとします。最近、気が弱くて特に何か特筆すべきものがない普通の人がだとか、可愛い系主人公を受けにするみたいな人多いと思います。多分(見ないのでわかりませんが)。
ですが、私からすればそういう奴等ほどド攻めです。可愛い攻め大好きです。
それから受けがめちゃくちゃ攻めのこと好きみたいなのも流行らないと聞きかじりましたが、攻めのことめちゃくちゃ好きな受けが好きです。
とにかく主人公様はどんな何であれ攻めという絶対条件が私の中にあります。
それから推しが攻めの場合も多いです。ここは世間とは逆かな、という自覚があります。
推しが受けの場合もあります。
それで、まぁココからリアルに私の推しCPで説明していきます。
例えば、ジョジョの4部。
私は仗露が好きです。ですが、仗億も好きです。その他の仗助攻めも見ます。
が、仗助と承太郎のCPはどちらがどちらでも見ないように尽力します。
2人とも主人公であり、2人とも攻めだからです。
攻め同士のCPは見ません。
同様に、fateでは、衛宮士郎は主人公様なのでド攻めです。最推しは士凛ですが、弓凛も王道で大好きです。なので士と弓のCPは見ません。それから後で触れますが、同一CPであると認識するのでその点でも彼等には触れません。
それから私はランサー君が推しなのでランサー君を攻めに置きます。
攻め同士なので士、弓、槍は掛け合わせません。
それから言ギルの女なので、言峰も攻めに置くので、彼も同様に受けにはしません。
切嗣は切アイが至高なので言峰と切嗣のCPも見ません。
しかし士郎と言峰の2人の根底の部分などの関係は好きです。CPにはしませんが。
で、言ギル神金や槍金、弓凛や士凛、士金も最近見るかな…
なんやかんや「受け固定」みたいに見られがちですが、そもそもは「攻め固定」なんですよね。いや、受け固定でもあるんですけど、攻め固定故の受け固定というか。
わかりやすくいうなら、「受けは受けで固定、攻めは攻めで固定、相手は変わる場合がある」みたいな感じでしょうかね。
さて、同一CPの話をしましょう。
これが1番わかりやすいかもしれないです。
ジョジョで言うなら、
例えば、承承や花花、DIOディオディエゴなどですね。
承承は見ません。
承太郎は攻めなので、同一CPでも見ないです。
しかし、花花やDIOディオディエゴは百合と見なします。積極的には見ませんが、たまたま目に入った時は普通に読みます。百合なので。
fateで言うなら、クーフーリンの同一CPは見ません。クーフーリンは攻めなので。
しかしギルギルは見かけたら見ます。百合なので。
それからヒエラルキーに従うこともあります。このタイプは割と多いのではないでしょうか。
攻め様は一度攻めであると認識してしまえば、何があろうともケツを使うことはないのですが、受け同士であるならヒエラルキーに従って受け攻めが決定します。(一時的な百合のようなものという認識なのだと思います)より受け度の高いものが受けです。これは己の性癖に従います。
個人的な傾向としてはこんな感じです。
かっこいい攻めが見たい。攻めの雄顔が見たい。これに尽きます。
いや、それにしても昔のジャンルほど、主人公様総攻めや○○攻めをよく見かける気がするなぁ。大好きですほんと。
最近のジャンルほど、主人公受けとかなんかそういう……多い気がするなぁ…
私は私の道を突き進むだけですけど、やはり少ないのだなという一抹の寂しさを覚えてしまいますね。
故に懐古厨、どんどんジャンルが遡っていきますよ。
刀関係の日記と所感
今日久々に刀沼ズブズブの友人と2時間程会話する機会があったので。
彼女、普段は全くの引きこもりで、だから最近刀ミュやステにハマり外に出かけることが多くなったらしく、「健康的だな〜」なんて思ってたんですよ。
ミュージカルとかステージとかに対して私はあまり能動的になれないんですよね。
親に連れられて行った劇団四季の「キャッツ」だとか「ライオンキング」、それから小だったか中だったか忘れたけど、校外学習的な感じで連れていかれた何処かの劇団の観劇が、私の人生上における全ての経験値なんですよ。つまり「ちょっとはあるけど、それほどでも無い」。
観ると面白いと思うし、素晴らしいとも思うし、感動もする。涙ぐんだりもする。けれども、だから何度も足を運ぼうだとか、他の公演も見に行こう!だとかは思わない。
一度あれば良いや、というような経験値的イベントのように思っているのかもしれない。
否定とかではなく、私にとって然程の興味を割ける時間や余裕がないように思ってくださるとありがたい。
で、その引き篭もりの友人が外に出るほど────観劇に向かう際に上等なパーティドレスでめかしこむ程────熱を上げている「刀ミュ」、その中でも特に不遇だとされていた時期噂になった「幕末天狼傳」についてプレゼンを受けていました。
要約するなら「刀ミュ幕末天狼傳における長蜂について」といったところだろうか。
他のミュージカルは再演したり、円盤に得点映像が付いていたりする中、この幕末天狼傳だけは何故か付いていないという不遇面から始まり、沖田組のニコイチ感、それから土方組の結婚、そして長きに渡り謎だった長蜂の主たる関係について様々語り尽くしてくれました。
特にこれまで抱いてきた長蜂のイメージの転覆、それから新衣装のファーお揃い事件などなど。
絶妙にネタバレを避け、捉えるべき“推すすめポイント(誤字でなく)”を的確に押さえた2時間程のプレゼンテーションに、ただただ圧倒されていました。オタクの熱いパッション、熱いからパッションなのか、パッションがそもそも熱いのかはよくからないけれど、とりあえず「ヤバい」と伝わる、時々消え失せる語彙。
推しについて語る彼女のなんたる輝かしいことか。
で、思ったよりミュの内容が激重、そして「ただひたすらに重くてしんどい」ということだけを胸に残し、全てを忘れさせる“後半のアイドルと化した推したち”。
聞いていてこちらの気が重くなる程だった。見てないけど。見てないのに。どんなストーリー?(というかそもそもミュージカルとステージの差別化がうまくできていない私です)
幕末天狼傳をより楽しむために、この公演より後に公演された結びの響を見ろ!という所まで話が及んだところで、今度時間を調整し鑑賞会を行うことになりました。
どれほど話が重いのかとても気になるし、長蜂は好きなのでとても楽しみではある。めちゃくちゃ長いらしいけど。最低でも7時間はかかると脅されましたが、そこはめげない。
個人としては倒幕派なので、佐幕派は(おそらく一般以上の知識はあるとして)わからんぞ、と言いましたが、
「そんなことよりマジで長蜂がヤバい、これまでの“全て”が覆るから全人類見ろ。お前も人類にカウントしてやる」
と言ってもらえたので、人類たる私は手帳とにらめっこすることになりました。
(来年のものを買っていないのでそろそろ買わなくてはならない)
なんでも、ゲーム内特殊会話やキャッチフレーズ、花丸で存分に発揮してくれた
「ツンデレタカビー扱いづらい系男子」
が、なんと吃驚、割と素直らしいし、のっけから長蜂が出来上がっていて脳がついていけないという。
なにそれ怖い。超見たい。
あと長曽根があらゆる他刀に指図されるほど「言葉が足らない」「不器用」らしく、
不器用×不器用
の堂々巡りを繰り広げるCP大好きな女としてはもうこれは付き従い鑑賞する他ない。
最近刀は全く、と言っていいほどやっておらず、チョ〜ギ君とやらも逃しましたが、とても大きな再熱の予感を嗅ぎ取ったのでこのまま突き進んで行こうと思います。
今日の承花語り
死んだものは死んだのだ。
それは単なる終わりでしかない。2度と笑うこともないけれど、悲しみに涙を流すこともない。もう痛みに苦しまなくていい。大きくも小さくもならない。老いもない。その先には何もない。
ただの終わり。
花京院典明はそうなった。
彼には生きたという事実と過去しかない。未来はない。あの空条承太郎がそれを理解できないはずがない。DIOの能力を暴いて仲間のために死んだ。立派で強くて仲間思いの、同い年の男だった。仲間であり友人だった。
彼は死んだ。
何が言いたいかというと、承太郎って区切りをつけられる男だ(とおもう)。
切り替えができる。ドライなわけじゃない。事実を落とし込んで理解できる。
彼の性質は精密で理知的だ。
過去、母を救うための旅をして、たくさんのことがあった。命の危険はあっただろうし、いつ母の容態が急変するとも限らないという焦りもあっただろう。だけど、仲間にかこまれ、共に戦う中でその絆は深まっていった。きっとそれが、あいつらなら大丈夫だろうという驕りになってしまったかもしれないけれど。
彼の中の大切な思い出だ。でも、それは思い出でしかないとわかっている。
弁解の余地があるならば、嫌いじゃない!!!!!と声を大にして言う。
好きだよ推しCPなら。なんでも食べるし、とても愛しい。だけど、『どこか花京院典明に縋るような承太郎』は少し解釈にズレがあるな…いや好きだし読むんだけど。昔はわたしも書いたような記憶もあるんだけど。今になってはちょっとヤだな。いや読むし好きなんだけど。
“そういう部分”も乗り越えた最強のスタンド使いでいて欲しいな。
私の中の承花の花京院は、きっと承太郎のそういう男前な部分にも惚れている。p
個人的にここ数年、承花についてゆっくり自分の中で見つめなおしてきた。
『承太郎はホモじゃなくてたまたま「良いな」と───そばにいても苦じゃない、何処か心地の良い距離感のこの男をそう思った。
一種のプラシーボや吊り橋効果だったのかも知れない。確かめようがない感情を持ったこともあったかもしれない。
だけど彼は死んだ。承太郎の抱いたよくわからない感情もそこで終わった。進むこともできなければ、答えが返ってくることもない。誰に聞くこともできない。死んだから。もういないから。残されたのは“ただの終わり”。
宙ぶらりんになった、文字通り突然宇宙に放り出されたような、蹴りのつけられない感情が漠然と残ったと思う。承太郎は気になると夜も眠れないタチだ。
だけど、聡い彼は終わりを終わりと落とし込んで次に進める。進むことができる。
だから結婚もしたし愛しい娘もできた。
宙ぶらりんは宙ぶらりんのまま、それを終わりとして良しとすることを選んだ。もしくは選ばざるを得ないと、月日の経過と共に理解してしまった。
例えば、若い承太郎ならもしかしたら諦めないのかもな、と思うけれど、4、5、6と時が進み落ち着いた彼ならばそれも是とするだろうな…と。
ただ一度、ただの思い出としてでなく花京院のことを思い出すとするのなら、それは死ぬ直前なのかなとも思う。
(これは完全な個人の性癖なんだけど)
10代の娘を持つ父親がその生涯を閉じる時、娘と同年代だった かつての仲間の早すぎる死への覚悟や仲間への献身を思い出すかもな、なんて。
いや、思い出すも何も、だからこそもう2度と失いたくないという覚悟の表れの6部の行動だったろうな。でも、鮮明に思い出すならやはり死に際なんじゃないか。
いやぁ、創作物だし生存院可愛くて好きなのだけれど、ちょっと時間おいてゆっくり承花に向き合うとやっぱり、あの50日間の中で生まれた行き場のない感情というか。心地よさというか。ポルナレフが騒ぎ、花京院がそれに鋭い反応を返し、承太郎が帽子の鍔を下げる。アヴドゥルがそれを快活に笑ってジョセフがポルナレフに加わる。
あの青春は限定的でありながら常しえというか。短い永遠だからこその尊さというか。
時が止まってしまったからこそ永遠になってしまった。故に尊い。そこが何よりもの私の中の承花観の根幹だ。
あの2人はよしんば生き残ったとしても絶対に口には出さずに墓場に持っていくだろうけどね。そこがいいよね。醍醐味だ。見ていてやきもきしてしまうのは、飽きさせることがない。
だんだんとっちらかってきたな。申し訳ない。
つまり何が言いたいかというと、承花はとても良いぞ!
ネロ祭りについて
終わってから時間が経ったけど気にせず書くぞわたしは。
気になるところがいくつかあったので。
もう先に書いてる人いるかもしれないけれども気にせず好き勝手に書きますのでヨロ!
※妄言のオンパレードなので注意※
一番気になったのは高難易度のフィナーレ。
なんか妙にすんなり倒せたから、多少の違和感はありつつも最初は何も思わなかった。
でもね。よくよく思い出してみると、ネロの名前は「バビロンの花嫁」だったし、その隣はバニヤンと少年悪漢王。
去年のネロ祭りの流れかな、くらいに思ってスルーしてしまったけれど、これ、結構ネタのオンパレードなのではないか?と気がついた。
ネロ祭りのフィナーレの1waveめ。
・バニヤン「都市作り……する?」
・ビリー「少年悪漢王」
わたし最初はこの人選って一体なんだろうと思ってた。
ストーリーの話の流れから来るパーティだったり、史実で関係があったり、他のネタがあったりで、なんやかんや繋がりのあるメンツが多かった気がするからだ。(気がするってだけで、実際は違うかもだけど。)
ネロちゃまって確か、ローマの大火にかこつけてキリスト教をこっ酷く弾圧した過去をお持ちだったと思う。
バニヤンが都市なのはわかるけど、ビリーは?と思ったんだけども、あの少年悪漢王、通常攻撃だか何だかで、こちらを「火傷」にしてきた。
ローマの大火。
都市…火傷…
都市、燃えとるやないか〜〜〜!?
さらに「バビロンの花嫁」について。
先述した、“ローマの大火をキリスト教のせいにして弾圧した”ことから、新約聖書の黙示録17節にあるバビロンの大淫婦が、ローマ帝国とその皇帝ネロの暗喩であるとされる説がある。
バビロンの大淫婦とは、神の名をけがす名で満ちた7つの頭と10本の角を持つ獣に乗った、紫と緋の衣を着て金や真珠で身を飾った女のこと。(しかも憎むべきものや不品行な汚れでいっぱいになった金の盃をお持ち)
聖書には、「地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔った(新約聖書 黙示録 17.2)」とある。
民数記におけるぶどう酒は、「繁栄・快楽・没落」を象徴しているとされる。
バビロンの大淫婦をローマ帝国の暗喩とする説に則れば、ネロのキリスト教弾圧を是とし、民もそれに賛同した……そのように解釈できなくもない。
更に、このバビロンの大淫婦は「大水の上にすわっている(新約聖書 黙示録 17.1)」との記述もある。
「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。(新約聖書 黙示録 17.15)」
つまり、水とは人の集合であり国だ。それも大水というのだから、とても大きな国(それも多民族国家のような)なのだと思われる。
それを読んで、わたしは最初「アメリカ」を連想した。大国で、しかも多民族国家。
黙示録は暗喩の集合体で、予言的なものであるとされる説もある。そのため、わたしが連想したようにバビロンの大淫婦が未来のアメリカであるとする説もあるようだ。
ネロ祭りはローマからアメリカへ移った。
そしてネロの、エクストラでの「バビロンの妖婦を───」のセリフ。
史実と、現代の聖書の解釈でバビロンの大淫婦とネロの関係は切り離せない、むしろセットみたいなものなので、そういうネタが盛りだくさんなんだな…ってちょっと感嘆したりもした。
あとちょっと聖書読んでて気になるところが。
「この者どもは子羊と戦いますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、子羊は主の主、王の王だからです。(新約聖書 黙示録 17.14)」
羊といえば…ということで、わたしは去年のバビロニアクリスマスのドゥムジを思い出した。未実装のキャラを既存の鯖が「役」として演じるいつものアレで、ドゥムジ役はダビデだったような。
ダビデは羊飼いだし嵌まり役だな、という当時の所感は置いておいて。
で。今回のボックスガチャの店番がドルセント・ポンドだったけれど、彼女のセリフが以前の三蔵ちゃんイベの猪八戒ダビデに似通っていて、というか思っていることが同じ、というか。今は亡き彼の関係者2人が彼に対して想いを馳せるところを、目の当たりにさせられてとても……しかも抱いた思いや評価も同じなのだなぁと…
というか彼の周りの人間、金にガメつくないか?とてもガメつい。
ただのオタクの連想ゲームでしかないけれど、結構ネタがたくさんあるのかな〜と思い、とても楽しかった。
聞くところによると、ネロちゃまの声優さんがマザーハーロット(バビロンの大淫婦の別名らしい?)役がどう、とかいうブログを書いていたらしくて、今後の伏線だったりしないかなぁとわくわくもした。
水着ネロちゃまのスキルも「7つの冠」だとかなんだとかで(いないのでわからぬ)、黙示録にも獣の頭(7こ)が王の冠───みたいなの書いてあった記憶あるな。今出先でメモとかないから確認できないけど。